はじめに
浜南ハンドボール部・創部50周年にあたり、特に現役高校生と若いOB・OGの人達に是非とも伝えたいと思い、この「創部50年の足跡」を作成しました。
これまでの出来事や戦績等を知って頂き、先生方のご指導の下、先輩方の頑張りや大いなる努力によって部の歴史が積み重ねられてきたことを感じとって頂ければ幸いです。
残念ながら、記録があまり残されておらず、多くの年代について記載することができませんでした。申し訳なく思っております。今後は、部の出来事等の記録について改善を図っていきたいと思います。
◎足跡を辿ってみて・・・・・
各期における共通の背景 (… 永遠の課題と言えるかもしれません)
◆ 部員は、中学校でのハンドボール経験者ではなく、高校で初めてハンドボールをプレーする。よって、3年(正味2年余り)で技術・体力の基礎から応用までを習得しなければならない。
◆ 顧問の先生もハンド経験者が非常に少なく、ゼロからのスタートにて、ご自身の習得と部員の指導・育成に非常に多くの努力を要し、たいへん苦労された。
◆ しっかりとした技術・体力の習得を図るためには、夏の合宿等で繰り返し実践することが必要であった。しかし、厳しさから、部員が退部するきっかけともなった。
◆ 1学年の部員数が少なく、3年生だけのチームを作れず、下級生を含むチーム作りが必要であった。
◎これからは・・・
上記の背景から、いままでOB・OGが顧問の先生に協力し、技術支援等を行ってきました。
今後も、OB・OG会は技術支援を中心に顧問の先生のお手伝いをしていきたいと思っています。もちろん、現在の環境やプレー・技術等をしっかりと勉強し、顧問の先生の考え方に沿った形での支援を行っていくべきだと思っています。
若いOB・OGの皆さんへ 多くの方の支援参加を期待しています。OB・OG会は応援する体制をとっていきます。 現役高校生の皆さんへ 我が部がより活発に、より強く、より充実したものになるよう頑張ってください。 是非とも 60周年、70周年、100周年を迎えましょう! |
3年時 | 主なできごと・戦績 | ||
西暦 | 期 | 男子 | 女子 |
1963 | 浜松南高 開校 | ||
1964 | 浜南ハンドボール創部 ◆吉田定静先生が栗山主将と共に部活を目指し活動を開始。少人数であったため、同好会としてスタート。当初は、人数の多かった女子部の創部を目指していた。創部には、外部からも仲山氏の多大な協力を得た。 | ||
1965 | 1 |
◆1年生の入学に伴い人数が増え、男女とも「部」として活動を開始した。*ゴムのボールで練習をした |
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男子部顧問 : 吉田定静先生 初試合は西部大会 本校 4−37 気賀高、 本校 9−38天林高 8月に合宿を実施 1日8時間の練習(内3時間がフットワーク) 初勝利は、本校の文化展招待試合で 本校 16−9 二俣高 本校 13−12 天林高 *ハンドボールコートがグラウンドに1面だけ設置 |
女子部顧問 : 野崎耕一先生 初試合は西部大会本校 4−18 二俣高 本校 16−9 二俣高 本校 13−12 天林高
初勝利は女子が先 インハイ県予選で 本校 10−6 藤枝西高 |
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1966 | 2 |
◆厳しく、苦しい練習を繰り返し、試合において良い結果を出すチーム状況となった。 東京の小岩高校を迎え合同合宿を実施 秋季西部大会 初優勝(リーグ戦) 県総合大会(OB・高校生合同)で決勝進出本校 14−12 沼津工業 (準決勝) 本校 16−19 橘OBチーム (決勝) |
国体県予選 3位 |
1967 | 3 |
◆厳しい練習が実り、良い戦績を残し県下でも名が通るようになった。 苦しい練習が圧倒的に多かったが、楽しいこともあった。遠征先での旅館や夏合宿の夜に仲間と眠ることも忘れて過ごしたこと等は良い思い出である。 インハイ県予選で決勝進出、準優勝 |
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1968 | 4 |
◆西部大会、県大会でも常に上位の成績を残すようになり、全国大会で活躍することを目標に置くようになった。 第23回国民体育大会へ男子3名が県選抜メンバーとして出場し、国体に於ける静岡県初優勝の大きな原動力となった。 県スポーツ祭 優勝、 インハイ県予選 準優勝東海総合大会 3位、 国体県予選 準優勝。 片山正美・長谷川裕・新村茂さん3名が国体に出場し見事に優勝。3名とも大学にてプレーを続行し活躍。 長谷川・新村さんは実業団でもプレーした。 |
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1969 | 5 |
◆先輩に追いつき追い越せと、前年以上の成績を目標に据えて練習に汗を流し、男女ともに良い成績を残した。 吉田先生に代わり、塩崎先生が顧問となる。 県新人戦 3位 鈴木和宏さんが大学でプレーを続行、卒業後大阪北陽高校の監督となり、長きに亘り好成績を残す。 |
県新人戦 3位 宍倉(堀川)景子さんが大学でプレーを続行。 |
1970 | 6 |
◆先輩の意志を引き継ぎ、全国大会を目指せと厳しい練習に励み、県新人戦で優勝したが、全国大会への出場はならず。 第25回国民体育大会へ男子2名が県選抜メンバーとして出場、大阪代表校(優勝)に敗れるが、合同合宿や試合の中で、他校との違いを学び、我が部の長所・短所を再確認できた。 *それまでのコートが格技場の敷地となり、新しく現在の場所に移動された。 県新人戦 優勝、 県スポ−ツ祭 3位 県インハイ予選 3位 内田賢二・野崎浩一が県選抜メンバーとして東海4県大会で優勝し、国体に出場。 |
金子(曽布川)志保さんが大学でプレー続行。 |
1971 | 7 |
◆県スポーツ祭に優勝し、全国大会出場への期待が高まったが、残念ながら出場ならず。 県新人戦 3位、 県スポーツ祭 優勝 県インハイ予選 準優勝 柴田正章さんが大学でプレーを続行(キーパー)後に、モントリオール五輪に出場。 |
女子1年・2年生の間でクラブノートがやりとりされ、コミュニケーション作りが成された。 |
1972 | 8 |
◆部員数が少なくなり、1〜3年生全員を合わせてやっと試合ができるという状態であった。 塩崎先生に代わり、飛田先生が顧問となる |
女子は県大会でベスト4入りをして遠征先に1泊することを目標とし、念願を叶えた。 野崎先生に代わり、伊藤先生が顧問となる。 県新人戦4位 県インターハイ予選4位 |
1973 | 9 |
◆男子の部員数が1名となり、下級生を懸命に引っ張っていた状況であった。 |
女子はチームワークが良く、 OBの現役に対する技術支援も活発に行われた。 県スポーツ祭 準優勝 東海4県大会(岐阜)へ出場 |
1974 | 10 |
◆先輩たちの実績を維持しようという強い意志を持ち、懸命に練習をした。 ◇OB・OGともに県の各種大会に参加することが続いていた時期である。 |
鈴木一恵さんが大学でプレーを続行。 OGが東海大会へ出場した。 |
1975 | 11 |
◆男子の部員が3名となったが、2年生とともに、春・夏の合宿を含め、厳しい練習に励んだ。 県スポーツ祭 準優勝 ◇技術支援をしていたOBが就活大学生や社会人となり、現役の支援に参加できなくなった。 |
OGが二俣高との合同チームで、東海大会へ出場を果たした。 |
1976 | 12 |
◆どんな試合でも、たとえ練習試合でも、絶対に勝つという強い気持ちで戦い続けた。そして、創部以来初めて、念願の「インターハイ出場」を果たした。(富山県氷見市)初戦で敗退はしたが、我が部の歴史に新しい足跡を残した。 県インハイ予選 本校 11− 9 清水商業 (準決勝)本校 17−15 静岡農業 (決勝) 第27回インターハイへ出場 本校 7− 12 新居浜工業 (初戦) 髙橋久仁和さんが、後に我が浜南の顧問になりチーム力を底上げ、現在は湖東高校の顧問 7期生の柴田正章さんが全日本チームの一員として、モントリオールオリンピックに出場した。浜南ハンドボール部の歴史に大きな足跡を残した。 |
伊藤先生に代わり、村上先生が顧問となる 県インハイ予選 本校 18− 2 東中OG 本校 5− 7 清水商業 (準決勝) 女子も県でベスト4に入った。 ◇前年に続き、OGが二俣高との合同チームで、東海大会へ出場した。 |
1977 | 13 |
◆男子3名、女子5名の部員となり、思うような練習ができなかったが、先輩たちから受け継いだ伝統を守るため必死に練習した。 西部大会 本校 8−8 気賀 本校 7−9 二俣 県大会出場ならず。 |
本校 3−2 気賀 本校 7−0 二俣県大会へ出場 |
1978 | 14 |
◆長年ずっと続いている、新入部員が夏頃に退部するという状態が顕著に表れ、男子部員は最後まで残った者はいなかった。 ◇OBは「全浜松」チームを結成し、ハンドボールが国技である西ドイツと国際親善試合を行った。(3月 浜松市体育館) 全浜松には浜南クラブより 「仲山団長・栗山監督・選手10名」が出場した。 試合には負けたが、我々の太腿より太い腕から放たれる国際級のスピードあるシュートや力強いプレーを体感できたこと、外国のチームと試合をしたことは、良い経験となった。 全浜松 19−25 VFLヘッペンハイム |
女子は楽しくも、真面目に練習に取り組み、清水商業に勝ったこともある。 |
1979 | 15 |
◇戦績は低迷していたが、「南高の校技はハンドボールだ」と胸をはって言えるようになるよう練習に励んだ。 男子部が初めて女子マネージャーを採用した。 飛田先生に代わり、高柳先生が顧問となる 県新人戦 本校 8−2 沼津 本校 1−19 土肥 県インハイ予選 本校 10−6 沼津工専 本校 5−21 星稜 |
新人戦 本校 5−3 富士宮東 本校6−5吉原 本校 5−2 御殿場 本校 2−13 城北 県インハイ予選 本校 3−7 御殿場 |
1980 | 16 |
◆夏の合宿を乗り切るための事前練習を体力重視で取り組んだ。その結果、北陽高校との合同合宿を全員無事に乗り切った。 部員数が少なく、思うような練習はできなかったが、先輩の築いたものに近づくよう練習に取り組んだ。 県インハイ予選 本校 7−24 土肥 |
県大会出場ならず |
1981 | 17 |
◆男子は個性ある仲間で、人数の少なさにもめげず、まずまずの成績を収めた。 |
女子は県大会での1勝を目指して練習に励んだ。 |
※以上が、創部20周年記念誌より抜粋した主なできごとと戦績です。 |
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1989 | 25 |
伊藤先生の代わりに高橋先生が顧問となる。 |
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1992 | 28 |
県新人戦 準優勝(東海4県出場) |
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1993 | 29 |
県高校選手権 準優勝 |
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2000 | 36 | 県新人戦 ベスト4
県インハイ予選 準優勝(東海4県出場) 今泉貴雄・髙橋徹・鈴木健志・深津卓さんが県選抜メンバーとして国体東海大会に出場。 長坂真吾さんが大学でプレーを続行。 |
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2002 | 38 | ◇OBが浜南クラブとして試合への出場を再開した。
県インハイ予選 準優勝(東海4県出場) |
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2003 | 39 |
県インハイ予選 準優勝(東海4県出場) 寺田充孝・井口翔太さんが県選抜メンバーとしてして国体(静岡)に出場。 寺田充孝さんが大学でプレーを続行。 |
田中先生の代わりに磯部先生(飛田先生の二女)が顧問となる。 |
2004 | 40 |
高橋先生の代わりに田中先生が顧問となる。 県インハイ予選 ベスト4 高井翔平さんが現在、吉原高の顧問に。 |
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2005 | 41 |
県新人戦 優勝(東海4県出場) 県選手権大会 優勝 |
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2006 | 42 |
県インハイ予選 2回戦へ 小林俊介さんが大学でプレーを続行。 |
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2007 | 43 |
◇OBが“LAYVISH”のチーム名で試合出場を開始。 |
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2009 | 45 |
田中先生の代わりに山梨先生が男子部・女子部の顧問となる。 |
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2010 | 46 |
県新人戦 ベスト4 県新人戦 ベスト4 |
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2011 | 47 |
◇OB“LAYVISH”チームが西日本クラブ選手権大会へ出場した。 県新人戦 ベスト4 県インハイ予選 ベスト4 |
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2024 | 60 |
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県高校総合体育大会 初優勝
女子創部初 念願のインターハイ出場。 一回戦、長崎純心女子に惜しくも敗れる。
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